いつだっけ、、、 たまたま観ていたNHKで葛飾区郷土と天文の博物館の中が放映されてました

昭和30年代を再現した建物が再現されていると言うのは長男や周りから聞いてしっていましたが

こんな風になってるのか~と 早速、行くべ!とヒロを誘い出掛けてきました

でもね~ 3丁目の夕日しかり いまでも残っている風景な気がしてならないんですよね~

確かに 我が家も7年前に建替えをしたし 周りもずいぶんと建て替えが進み

そんな世代変わりの時期なんだろうな~ などと実感している今日この頃

たぶん東京って戦後の復興というか うちの親父含め 集団就職や 人を頼りに仕事をする為に

東京に出てきて 根を下ろした世代の人達の子供 すなわち僕ら世代がそれなりの収入や

親と同居 いまで言う2世帯住宅というカタチで建て替えをして新しい家になる

それに伴いモルタル2階建ての家がお洒落な2世帯住宅になったり

不景気で潰れた工場の跡地に建売やマンションが建つ そんなちょうど境の時期なんだと思う

たまに 東四つ木でなにがヒットするかとググってみると 壱番は嬉しい事に ここのブログなんだけど

なんページか見ていくと 必ずぶつかるのが 下町の風景とか 懐かしい風景という名の

この街を離れて方のブログで 掲載している写真は それこそ友達の実家がある商店街

佐田まさしさんも入った 宝温泉のあった宝商店街の写真だったりする

確かに 見た目は古く感じるが 出前のバイトをしていた事もあった宝屋(そば屋)や

友達の家の辺りは 普通にこの辺には存在する風景で  否 風景というより日常で

これといって特別なモノに感じない 因みに明日も掲載しますが 1枚目の写真で載せたのは

地元 東四つ木の鉄工所を移設したものだとか

まさに戦時中 鉄砲の弾を作っていたという母ちゃんの実家にあった鉄工所がこんな感じだった

俺が物心付いた頃は 自転車のスタンドを作っていた なぜ友禅の工場が鉄工所って思うかもしれないが

戦時中の事 そんな仕事もしないと商売を続け辛い状況だったと死んだ爺さんが言っていた

その工場に良く似た作りで懐かしいという気持ちもあるにはあったが

嫁の実家はいまだにボルト屋を営み 鉄工所にてボルトを含め様々な鉄の加工をしている

70もとうに過ぎたお父さんが間に合わないを理由に鉄工所で作業をしている姿を見かける

建物は新しいが 中の機械は昔からある機械も多く これもまた普通に子供の頃から見るモノだ

俺がだらしないのも手伝ってお父さんやうちの親父が一生懸命働いていてくれているその場所が

昭和30年代だと展示される不思議な博物館

なにか違うと感じずには居られなかった、、、

今度訪れるときは 江戸弁バリバリの嫁のお母さんを誘ってみようと思う

なんて思うのか気になって仕方がない  

きっと  『こんなのあったわね~』とか言うんだろうが 

きっと俺は 『お母さん それ倉庫に同じ物があるじゃないですか』と答えるだろう

 

しばし、葛飾区郷土と天文の博物館の写真が続きます。

仕事バタバタにつき 訪問遅れがちになるかと思われます ご理解下さい。