死者 15,854人

行方不明者 3,203人 

考えられないほどの沢山の幸せを奪った

東日本大震災

あれから1年

早いですね

今日は多くの方が

さまざまな思いを込めて書かれると思いますが

俺も記録として綴ってみようと思います

 

その時 俺は

スカイツリーが倒れてきたらヤバイ距離で

仕事の打ち合わせの為

仕事仲間の会社にいました

3社での打ち合わせに

最後に遅れ気味で着た仲間のiPhoneから

けたたましく 鳴り響いた地震警報

『最近 よく鳴るんですけど いつも なにもないんですよね』

そういう仲間の言葉をかき消すように

地響きの様な音とビルがきしむ音

いままで味わったことのない激しい揺れに

荷物を持って外に出ようとした時

ビルの壁が降り注いでいることに気づき

出ることを躊躇いました

それでも 留まることの方が危険と判断し

外に飛び出し 広い通りへと走りました

首都高が波のようにウエーブし

通りから 見上げたスカイツリーは

工事中のクレーンがありえないほど

激しく揺れ動いていました

まさに 自分が映画の中のワンシーンに

入り込んでしまったような錯覚に陥るほどでした

通りに 逃げる間に頭を過ぎったのは

家族のこと

経験した誰しもが

この揺れは 尋常じゃないと感じたことだと思いますが

その時 壱番に思うのは

自分にとって大切な人の存在なんだと

改めて 感じた瞬間でした

 

その後 震源地である東北地方では

東京で感じたとてつもなく大きい揺れを

遥かに凌ぐ 揺れと

想定外だったのかもしれないが

自然を侮っていたと思わせる

大きな津波のニュースが携帯のワンセグから

知ることになる

幸か不幸か

こうしてブログをしていると

日本中に仲の良い友達も増え

震源地に近い 友達の事を考えると

胃に穴の開くほどの心配が押し寄せた

昨年の1月から

俺のどうしようもない部分のせいで

家族と離れ離れで暮らしはじめていた俺は

家族のことと

こうして毎日 交流のある

家族というか 会社の同僚の様な存在の

ブログ仲間のことが心配で

考え出すと 吐き気が収まらないくらいの

心配をしました

うちの長女と同じ娘を持つブロガーさんが

大丈夫とツイッターで呟いたものの

その後 まったく更新も呟きも消え

胸が押しつぶされる思いで数日を過ごしたりもした

実際は交流がないとしても

もしかしたら

もしかしたら

この曽根風呂のブロガーさんの中にも

被災だけに留まらず

命を落とした方もいたのかもしれない

 

人間の無力さと

自分のふがいなさと

きっと俺なんかよりも

世の中の役に立つであろう

胸に希望を持って生きていた人達が

志なかばに亡くなったことが

どうしても 納得できなかった


それでも過ぎる時間のなかで

進まぬ復興をほおっておいて

政権の死守に力を注ぐ政府

これだけの事態を招いても

自分達の私腹を削らず値上げするという

東京電力に呆れるばかりだ

 

この1年

ひとりになったこともあるのだろうが

ひとりでいる寂しさという不安と

離れた事により増えた心配

昨年は多くの出逢いもあり

それにより 心強く支えられ

なんとか この1年を過ごせました

それこそ

生きていく糧になる出逢いもあったが

不安や寂しさ 心配が減った訳ではない

それでも生きていかなければならず

神の思し召しとして受け入れるしかないのかもしれない

心底苦しい1年ではあったが

震災直後から ずっと心に決めたことがある

『 上を向いて歩こう 』

実際はうつむき気味ではあるが

きっと 俺なんかより

遥かに苦しい方も頑張っている

俺なんかと違い

生きたいと思った方が

失った命を考えると

上を向くしかないのかもしれない


それぞれに感じたであろう

東日本大震災

行方不明の方が一刻も早く見つかるよう

志なかばで命を落とした方が浮かばれる様

残された被災者の方に

元に近い幸せが訪れるよう

祈ることしかできませんが

この1年の思いとして綴ってみました