Looking back on life Vol.402 [2Kの画日記]
写真は荒川放水路です
1枚目は平井大橋から
2枚目は かつしかハープ橋
S字の吊り橋で今はどうか分かりませんが
S字の吊り橋では世界初の橋だったみたいです
首都高速中央環状線 四つ木インターと平井大橋料金所の間にあります
1枚目の右の方に吊り橋が小さく写ってます
かつしかハープ橋ができたのが
てか 首都高環状線を作るのに立退がありました
何人か土手沿いに住んでた友達が引っ越す事になりました
中学3年になる時だったのもあり
転校していくヤツはいなかったのですが
それでも地元を離れていくのは
なんとなく寂しいと言ってたのを思い出します
結構なお金を貰えたので大きくて綺麗な家に住めても
やっぱり複雑だと言ってました
殆どのヤツが高砂に引っ越して行きました
中でも2人 凄く仲の良いヤツらが居たんです
今 俺が住んでるところから チャリで5分もあれば
行けるところなんですが
1人はだらしない性格で今は縁がなくなりました
もう1人はクラスメイトだったし
しょっちゅう高砂の家に泊まりに行っていた仲でした
俺が行くと おかえり って出迎えてくれるおじさんおばさんでした
ご飯もご馳走してくれるんだけど
ママとお姉ちゃんが俺の事を気に入ってくれていて
他の友達数名と泊まりに行ったとしても
俺だけご飯が豪華だったりしたんですよねぇ
ちょ〜露骨に(笑)
息子が文句言うと
じゃあ お前は食わないでいい
と言っちゃう ママとお姉さんでした
タバコが切れたから 買いに行こうと言うと
おじさんのストックのハイライトをくれたりしました
おじさんがママに俺の小遣いで買ってるのに
と文句を言うと
煩いわね 小遣い減らすぞ
と言いながらタバコをおじさんから奪い くれちゃうママでした
とっても美人のママで料理も上手く良いママだったなぁ
そいつとは縁があったのか
高校中退した後に アパレルメーカーに勤めたんですが
数年後に 俺がアパレルメーカーに就職したら
あちこちの下請けでバッタリ逢ったりして
仕事も請けたり 請けて貰ったりの関係になりました
たぶん 皆さんが聞いたらビックリするくらい有名アパレルに
口座を持って 大きな商売をしてました
仕事のできるヤツだったんですね
高校中退でも仕事には関係ないって思いましたよ
30前に独立して 大きく稼いでいたんですが
40くらいの時に 癌で旅立ちました
今 思い出すと 良い関係だったなぁと思いつつ
寂しい気持ちでいっぱいになります
学生の頃も大人になってからも散々世話になったのに
たいした恩返しもできないままなんですよねぇ
人の夢を なんの疑いもなく
お前ならできるよ と言ってくれる友人って
そいつだけだったかもしれません
ママとお姉ちゃん どうしてるかなぁ
親父さんは亡くなってるけど
ママとお姉ちゃんは元気にしてると良いなぁ
そうだそうだ
実は 3兄弟だったんですよね そいつんち
2つ上の姉ちゃんと1つ下の弟がいました
年子なんだね とご飯の時に言ったら
お父さんがスケベだからねぁ ってニコニコしながらママが言ってたっけ
ママのご飯
また食べたいなぁ
訳分からない話になりましたが
ハープ橋を見ると
そんな事を思い出すという話しでした